詩作32

-No.52 「苦悶の美」

まるで自分自身が
廃墟になったような

苦しみが自分で
自分が苦しみのような

苦悶のもたらす
美しさ

そこ観ずの方の
人間への執拗な
浅薄な捉え方

誠実な人は
優しい人は
成功し・・・・・
(そもそも成功って何か)

感謝の心を忘れぬことが
大事です・・・・・
(感謝感謝言うことは本当の感謝なのかどうか疑わしい限り)

そこ観ずの方へ

薄っぺらい
誠実さと優しさが
人々を地獄へ導いたことを
知る由もなく

美しき苦悶の後に
全身全霊で行われる
人知越えた(合理性・論理性を超えた)
この時(いま)という流れにおいて頓挫しそうな
意思決定の内にこそ
真の誠実さが求められることを
知る由もなく

結局、あなた方は
自分の生を美しく生きようとしない
(自分の生とは何か)

美しく生きようとすれば
美しくなれないのだ
(美しいとは何か)

求めることは
自然の意志を遵守した
自分の唯一無二性の探求
社会接続過程の苦悶だ

シンゴ・クリハラ

60年間の友情

 

「早く行かなければHは死んでしまうぞ!!」そんな声もありました。特殊潜航艇の中には8時間分の酸素しかありません。

 

Hさんを助けるために残っている時間は、4時間程度であったようです。

 

同期のKさんは、予科練の方達とともにHさんのいる所へ向かいます。ちなみに、どのようにして、潜水艦である特殊潜航艇位置を確認するかといえば、訓練時には潜水艦に浮をつけているので、その浮の真下50メートルあたりにHさんの特殊潜航艇がある位置となります。

 

じいちゃんは急いで民間の潜水夫2人を引き連れて、小さな船でHさんの所へ向かいます。Kさんが予科練と共に向かった10分後くらいだったそうです。

 

じいちゃんが潜水夫とともにHさんの所へ向かっていると、突然、ダッダッダッーと音が響きました。横須賀に空襲をし終えたB29がKさんとじいちゃんのいる海上を通ってきたのです。

 

Kさんの乗っている船は予科練が使用している船ですから、船内に機関銃が積んであります。Kさんは条件反射的にB29に向かって機関銃をぶっ放しました。先ほどのダッダッダッーという音はKさんの船からB29に向かって撃たれた銃声だったのです。

 

B29はKさんが乗っている船からの攻撃を確認すると、こちら側をめがけるように迂回し、Kさんの船にめがけて攻撃をしかけて来ました。

 

じいちゃんの話によれば、海に向かって撃たれた銃は、海にぶつかって乱反射して、予測不能な方向へと弾道を変えてくるそうです。乱反射した弾は、じいちゃんの船へも向かってきたそうです。潜水夫とじいちゃん達は船内で屈みこみました。ダッダッダッーという音、ピュン、ピュンと空気を切る音、海面から跳ね返る弾の音。色々な音を聞いたそうです。

 

B29からの攻撃は、正確にKさんの船を捉えました。Kさんは撃たれました。一緒に同乗していた予科練の方達2人も撃たれました。じいちゃんは撃たれた所を確認したそうです。一方、B29は、この攻撃の成果を確認したのか、平然と基地へと帰っていきました。Kさんの船は、Hさんを助けるどころではなくなりました。

 

じいちゃんは予想外の事態に驚いたようですが、とりあえずHさんを助けなければならないということで、Hさんのところへ向かおうとしましたが、潜水夫は断固として潜水を断ったそうです。「こんな状況で潜れるはずがないでしょう」と。「これは命令だ。」じいちゃんも食い下がったそうですが、断固として潜ろうとしない。

 

じいちゃんは、この時、HさんとKさんという大切な同期二人を同時に失う状況に立たされました。

 

潜水夫は潜らない。Kは負傷した。それに、またいつB29が襲ってくるかも分からない状況。じいちゃんは「H申し訳ない」と想いつつ、陸へと戻る決断をしました。

 

続きは後日。

 

シンゴ・クリハラ

自我を捨てる努力

 

孤我に自身の理想を追求する。もちろん、そこには大いなる決断と覚悟がある。そういう人が好きだし、偉大だと思うし、自分もそうなりたいと思う。でも、自分は、直ぐに安易な方向へ向かう。向かうべき方向性のセンスも良くないかもしれない。

 

僕は表現者として生きる態度に恐れと思慕を併せ持つ。恐れの源泉は、僕の今までの自我を守ろうとする所から発する。思慕は、芸術家たる人々への憧れ。自我を捨てれば、今までの自分の価値を捨て去る分、自身の表現者としての価値を自分の中の器に落とし込めるのかもしれない。逆説的だけど、自我を捨てることで、本当の意味での自我を追求することができる、みたいな。

 

それと、いまいち僕は、世の中の表面的な事実と深層的な事実の価値の分配具合が分かっていない。この分配具合に納得を得られないから、革命的というか向う見ずな態度になってしまうかもしれない。そして、それで痛い目にあったりする。友人を見渡せば、自分のそういう性向は、ある種のイデオロギーであって、どっちが悪い良いとか、価値があるないの話ではないと客観的に理解できるのだけど、やっぱり自分の問題となると、毛嫌いしてしまうのだ。

 

しかし、この宗教観にも近い、この深層重視の性向を、もうちょっと大事にしようと思う。そうでもなければ、自身の理想の追求も何もありゃしないのだから。

 

シンゴ・クリハラ

賭け

 

人生は賭けです。

 

歴史を知ることで、世の大きな流れを予測することはできるかもしれません。でも、だからといって、仮に世の流れを予測できたとしても、自分の人生が自分の満足のいくようになるかどうかは分かりません。なぜなら、自分の人生の成功の定義は、世の大きな流れと無縁であるかもしれないし、世の流れと自分のタイミングが合わないかもしれないからです。つまり、私の成功を担保する「何か」は、原則的にはない。人生は賭けであると言う所以はここにあります。

 

そうとは言っても、僕は世界の歴史を知りたいと思うし、科学的思考を大事にしたいと思う。それは、極論すれば自分なりの人生の成功を何とかして導きたいと思うからです。自分の人生を成功させるとは、自分のこの先の人生の在り方を描き、その方向性へ進もうと現実社会を切り抜けようとする営為であります。そして、歴史を知ること、科学的思考を大事にすることが、その営為においての参照材料となると考えます。

 

では、なんで、「賭け」である人生において、そんなことをするのか。結局、歴史を知ろうが、科学的思考を大事にしようが、人生なんて「賭け」であるのだから、だったら、変に努力せずに、やりたいようにやればいいのではないか、と。

 

この質問に対して、僕は、そこに「合理的基準」を示すことはできません。言えることは、本気かどうか、ということくらいです。

 

つまり、本気で賭けているか、否かの違いだということ。みんなも、もっと人生の賭けに出よう。

 

今日のこと 後輩の素晴らしい決断

 

今日は上尾に住んでいる後輩と久々に会った。

 

彼は銀行員になり、個人向けの金融商品の営業となったけど、価値変動する商品を販売する仕事に嫌気がさして、早々に会社を辞めたのです。リーマンショックの時期と重なったこともあり、確実に損をするような商品を売らなければならないということ、また実際に売った人に大損をこかせてしまったことなどを鑑みて、気の優しい彼は、こんなことをするために社会人になったのではない、と会社をやめました。

 

それで、2年間悶悶と暮らし、遂に公務員筆記試験を通って、後は、面接のみ!!ということでした。多分、人柄的も良いし、話も上手いし、絶対合格すると思います。

 

で、彼は、銀行を辞める時に、色々な人から、もっと粘れと言われたそうです。そりゃ、そうでしょう。だって銀行を1年2ヵ月でやめようとしたのですから。石の上にも3年とか言いますし。

 

でも、彼に今日会った様子をみていると、その時、周りの人からなんと言われようと会社を辞めるという意思決定をして良かったのだな、と思います。結果論になってしまいますが、その意思決定が出来なければ、いやいやのサラリーマン生活を続けていくことになったのかもしれないのです。

 

決断とは、断ることを決めることです。つまり、自分の在りえた未来の可能性を捨てることを意味します。でも、それによって新しい道ができる。彼は、自らの決断によって、銀行員としての未来をほぼ捨てたことになりましたが、公務員としての道を見出したわけです。

 

自分も色々な未来の可能性を捨てました。そして、同時に新たな道が見えてきました。そして、そのことに、まったく後悔はありません。人には、何故後悔していないの?と聞かれますがね。

 

そういうこともあって、彼のことを一生懸命に応援してきたいと思いました。

 

シンゴ・クリハラ