埼玉県の特殊性

 

僕は埼玉県の出身です。今も埼玉に住んでいます。そんな埼玉生活の中で思う事。それは、この埼玉という所は、非常に特殊だということです。

 

その特殊性とは、高度に均質化・標準化されているということです。ここまで均質化・標準化されている県も少ないのではないのかな、と思うのです。

 

ここで言う均質化・標準化とは、埼玉県(特にさいたま市)にある商品やビジネス形態、人の動き及び思想が、金太郎飴のように同じということです。具体的に言えば、お店はほぼチェーン店しかない、住んでる人は東京と埼玉の行き来を繰り返すのみで埼玉を盛り上げようという気運がない、ということです。そんなこと言ったら、千葉や神奈川だって、同じじゃないか、と言われれば反論できません。ただ、自分が言いたいことは、神奈川や千葉と比べても、その金太郎飴具合が非常に高いのではないか、と思うのです。要は程度問題として、埼玉の均質化・標準化の純度が高く、むしろ、それが特殊性にまで昇華してしまっているような感じがします。

 

この金太郎飴純度を測る指標の1つとして上げられるのが、地元完結のお店が少ない、ということです。昔から存在する床屋・美容院や八百屋はある程度存在しますが、ここ10年の間に、カフェとかケーキ屋、雑貨屋、洋服屋が出来た形跡はあまり見られません(もちろん、いくつか出来ていることも確認していますが、圧倒的に少ないです)。もしくは、細分化されたニーズに応えようとするお店、例えば、アンティーク専門店であったり、器屋等も存在しない。

 

だからといって、住みにくい訳ではありませんし、自分は、埼玉が好きであることは間違いありません。ただ、この埼玉が好きだからこそ、東京ばかりを見ていないで、自分達の足元を見て見ようよと言いたくなる気持ちがあり、この気持ちを大事にする限りにおいては、埼玉に幻滅する部分もあるのです。

 

でも、このことは、埼玉という街に何らかの変化をもたらせば、そこには大きなチャンスがあることの裏返しであるとも思うのです。だから、このブログ上で、色々と埼玉で行えそうなことを妄想して、実現可能性がありそうならば、それを挑戦してみようと思います。

 

シンゴ・クリハラ

葛藤について

 

 

最近の自分と言えば、色々な葛藤に直面し、そこをどうにかこうにか上手いこと切り抜けたいと考えていることが多いんです。どんな葛藤だ、と言われても、そんなことは人に言うべきものではないので、ここで公言するようなことはしません。

でも、葛藤って、ほぼ「できるだけ充実した生涯を送りたい」と強く望む所に立ちはだかる様々な障害や不確実性に直面する際に現出してくる心的過程のことだと思うのです。ですから、葛藤って「どうすれば充実した生涯を送れるのか」という疑問に対する答えを求めようとする、ハウツー的な心づもりと似ている関係にあると考えます。でも、少し違う点は、より現実的な規定を考慮に入れている点。単なる「ああしたいなぁ」「こうなりたいなぁ」という夢想家の域を超えている点。

 

よって、葛藤の背後には、必ず、そこを奪取して見せるぞと意気込みがあるのです。何とか、色々な制約の中でも自身の想いを実現させたい。それは、綺麗な代物ではなく手垢まみれな感がある。そして、何より、その意気込みともがきを支える「自身の情熱の源泉」を理解し、それを時代に即した形にするために「現代及び未来の本質を考え抜く」姿勢によって、初めて、葛藤は解消され、次の扉が開くのだと思うのです。

 

そういうようなことで、

 

  1. 自身の情熱の源泉を理解すること
  2. 現代及び未来の本質を考え抜くこと

 

が葛藤している僕には非常に大事なような気がしてなりません。

 

<続きは、後日書こうと思います。>

 

 

シンゴ・クリハラ