おじいちゃんとさくらが死んだ

おじいちゃんとさくらが死んだ。

おじいちゃんは1月4日。さくらは1月15日。二人(といってもさくらは猫だけど。)とも、自分にとって、とても大きな存在である。死んだ後も、ずっと大きな存在である。二人は自分の心に住み続けてくれる。いつか、自分は2人のもとへ行って色々な話をしたい。本当にありがとうございました。

 

Category ESSAY

改めて整理してみよう

教育の現場では、色々な嘘がある。

あまりにも分からないことがある。人の成長プロセスには様々な変数があり過ぎて、ある一つのものに、その原因を求めることはできない。

あれは家庭に問題がある。ありゃ、母親の教育に問題がある。とかって言うけど、それだけを一概に責められることはできない。どういう人間に育っていくかということは、当の母親の意図を越えた部分もあるように思われるし、ある年代を越えたのちは自律的に、その成長プロセスをたどっていくだろうと思う。

自分自身の経験として、もっとも信用できるものは、自分の情熱と相手の情熱が交わったときに起こる爆発的な成長過程である。お互いの信頼関係が一気に増し、こちらの期待以上のアクションを、相手の純粋なモチベーションで完遂してくる。このことがさらなる信頼関係を醸成していく。

では、なぜゆえに、自分はその子と信頼関係を築くことができたのかといえば、それは、その子との相性とタイミングによるだろうと思う。相性は言うまでもなく、偶然の要素である。一方、タイミングとは、子どもがたたされた試練のタイミングに付き添っているかどうかということである。

やはり、中3や高3のときに、深くかかわった生徒達とは、信頼関係を築きやすい。彼らにとって、試練に直面した時に、どれだけ寄り添い、そして励ましつづけられるか。本人も何とかしなければならないと思っている状況であり、そういうときに、頼れる存在になることは彼らの精神的支柱にもなることと同義である。精神的支柱になるとは、その子にとっての生涯の恩師になることである。

こういった経験は本質的である。と多くの教育者は思うようになる。もっとも大事なことは、何かコンテンツを教えるということではなく、試練の時に、相手が倒れそうなときに、倒れないように励まし続けることであると。だから、テクノロジーというものが、教育の本質的課題を解決するのか、と言われれば煙たがってしまう。

もっと大きな視野で教育問題を眺めてみると、事態は変わってくるかもしれない。

多くの子どもたちが試練に立たされた時に精神的支柱となるような大人に出会えていない。これをテクノロジーの力で解決することはできないのか。それは、直接的・間接的支援どちらでもよい。

そして、個別具体的な支援を達成することによってしか精神的支柱になどなれるはずもなく。よって、人的コストは非常にかかってしまうので、多くの場合、ビジネスモデルとして破綻してしまうのであるが。

今ある教育機関の繋がり方に何らかのスパイスを加えてみる必要もあるかもしれない。

いずれにせよ、子ども達の精神的支柱となりえる存在をテクノロジーの力で見出すことが直近の課題であろうと思う。

 

Category ESSAY

滝に打たれた。寒かったけど、なんというか良かったね。

 

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I like jazz. this is because

jazzが好きな理由なんて、男がたばこを吸うこと、ウィスキーを飲むことを好む理由と同じことだ。要するに、かっこいいと思うからなんだ。

そこにひたっている自分がかっこいいと思える。思わせてくれる。たばこもウィスキーもjazzも。自分をかっこいいと思える時間って大事だと思う。なぜなら、その時間だけは俺だけのものだと思えるから。自分の時間を忘れてはならないなぁ。jazzを聞き、ウィスキーを片手に、君は何を考える?

随分とくだらないことばかり考えやしないか?それとも、そのくだらないことに人間の真実が隠されているのか。崇高だと考えられているようなことが全て茶番であったりしてな。

とにもかくにも肩意地張らずに、自分のやりたいようにしてればいい。自分の信じるものがそこにあるなら。

 

Category ESSAY

久々の日記

継続は力なり。継続できないから力が無い。このブログもね。陶芸と詩という制約を設けてしまったことで、それ以外の気ままなエッセーを書けなくなってしまった自分がいたりして。

なんだっていい。俺が書いているのならな。

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詩作83

No.107 「卒業」

こころ に あな が あいた みたいで

くたくた の スーツ の ように

つかいふるされた ぼくは くりーにんぐ が ひつよう かも しれないし

すてて しまった ほうが よい のかも しれないし

それでも ぼくは ぼくで そんな ぼくが すきだったりして

わかれ を みつめれば みつめる ほど

いま という じかん が もう にどと こない こと を しって

とても かなしい けど うれしい

だって ぼくらには みらい が あるのだから

おわり は ぼく に なにを おしえて くれた ?

きみ が とても すきだ ということ

それと きみ の ために みらい を つくること

きみ に であって

そして おわって

だから ぼくたち は あゆめる の だね

こころに あな が あいても あゆむ しか ないんだね

 

 

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詩作82

No.106 「こんなもん」

何をするにも怠惰な男で
何をするにも冷めた目つきで
世の無常なんて
それらしい概念で
頭かかえてみたら
絵になる哲学もったような気がして

何をするにも怠惰な男で
女と時計に追われた
あいつをうらやましく思った
夢を信じきった
あいつをうらやましく思った
僕にない全てを持った
あいつをうらやましく思った

どこが安住の地なんだろう
どこで安住できるだろう
どこに安住できるだろう

全てうまくいくさ
きっとうまくいくさ

何をするにせよ
誰のためであれ
何も企図せずに

シンゴ・クリハラ

 

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詩作81

No.105 「理由」

なんたって理由求めたって

納得の理由探しに疲れ果て

その次にゃ

理由の理由を求たって

偽善の開始で

知らぬ間に

理由の始め忘れ果て

説明できぬ理由見りゃ

嘘の称号もらうがね

嘘の中に始まりが

あるかもしれぬ

この矛盾

世の中ひっくり返って

考えてみた方が

よかったなんて

叫んでみたところで

先祖に笑われて

子どもに笑われて

結局孤独なままんだ

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詩作80

No.105 「なんとなく」

人生色々あるよねぇ という言葉にね

色々あるかどうか分からない僕が反応してしまうのは

いちよう色々あるということなのかもしれないね

人生色々あるよねぇ という言葉にね

なんとなく反応するんだよ

僕たちは

 

 

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メモ書き

常に何かにとりつかれていなければならない。自分がとりつかれる対象とは、自分の直感に即した、自由への欲求であろうと思う。

分かりやすい目標とは、そろそろオサラバする時が来たように思う。自分の内面と自由に向き合ったとき、定量化しえる目標は、ほとんどの場合、嘘でしかないのだから。

詩作とは、自分の捉えた現実をいかにして言語に落とし込むかということ。作為的でないこと、使用される言葉は身体に刻まれていること、レトリカルであろうとしないのであるがレトリカルであることを目指さなければならない。そもそも、言葉とは、作為的であるし、身体から浮遊しているし、本質的にレトリカルな存在である。つまり、今自分の言うことを詩作で目指すことは構造的な不条理さを伴なう。

私自身の唯一のモチベーションとは、不条理への挑戦であろうと思う。そうでなければ、何故、追いかけ続けなければならないのだろうか。

Category ESSAY