久々の日記

継続は力なり。継続できないから力が無い。このブログもね。陶芸と詩という制約を設けてしまったことで、それ以外の気ままなエッセーを書けなくなってしまった自分がいたりして。

なんだっていい。俺が書いているのならな。

メモ書き

常に何かにとりつかれていなければならない。自分がとりつかれる対象とは、自分の直感に即した、自由への欲求であろうと思う。

分かりやすい目標とは、そろそろオサラバする時が来たように思う。自分の内面と自由に向き合ったとき、定量化しえる目標は、ほとんどの場合、嘘でしかないのだから。

詩作とは、自分の捉えた現実をいかにして言語に落とし込むかということ。作為的でないこと、使用される言葉は身体に刻まれていること、レトリカルであろうとしないのであるがレトリカルであることを目指さなければならない。そもそも、言葉とは、作為的であるし、身体から浮遊しているし、本質的にレトリカルな存在である。つまり、今自分の言うことを詩作で目指すことは構造的な不条理さを伴なう。

私自身の唯一のモチベーションとは、不条理への挑戦であろうと思う。そうでなければ、何故、追いかけ続けなければならないのだろうか。

勝負をしかけるときとしかけないとき

色々な誘惑がある故、自分の価値観を中々定めることができなかったりね。お金、女、名誉、カッコよさ。自分は一体何をしたいのか、ってことを考えることは辛いですよ。だから、お金とか女とか、誰もが思うものにいきつく。別に、それは、どんな人間だって考えていることでしょう。それを得るためなのか、得るためじゃないのか、そんなんどうでも良いけど、とにかく、一体何のために自分は勝負をしかけるべきなのか。

勝負をしかけるけど、その勝負に勝算はあるのか、その勝負は自分にとって価値があるものなのか。

その勝負はエゴなのか自然の摂理に従っているのか。

昔からモノポリーとか、ドカポンとか、そういうゲームでほぼ負けたことが無かったんだよね。それって、結局、勝負に出るところで出るか出ないかの差のような気がするんよ。

でも、自分の人生であると、その勝負に出る時と出ない時の感覚が研ぎ済まれてないゆえに、失敗をしてしまう。何度か言っている通り、その時に一番大事にしなければならないのは、「エゴ」か「自然の摂理」に従っているかなんだと思う。

自然の摂理に従っているかどうかを見分ける基準は、分かったら苦労しないって話です。

シンゴ・クリハラ

片づけとか掃除とか

パソコンが好きですな。私は。でも、スマホとかタブレットに駆逐されていくのかしらん。パソコンの画面が汚れているので、友達からもらったウェットティッシュで拭いた。そのあと空拭きしたら、とてもきれいになりました。画面が美しい。パソコン好きだから、それだけで大分気分がええね。それ以外にきれいにできることってある?考えてみれば、たくさんあるね。でも、そのままにしているんだよ。

それ以上そこにあっても何もないでしょって、思うモノを処分できないよね。でも、それを処分するときって、何か自分のマインドに変化があった時ですよね。

玄関の右斜め上にライトがあるん。そのライトがすごく汚れていたことは気づいているのだけど、それをきれいにしようとしない。これは、一番アカンね。黄砂みたいなときに雨がふったりすると、車がすごく汚くなる。こんときに、どうせまた汚くなるからいってきれいにしないのもアカンね。

結局、常に動いているわけですな。きれいは絶対に汚くなる。でも、また汚くなるからいうて、きれいにしないとドンドン汚くなる。だったら定期的にきれいにすることで、きれいを維持しようとすべきなんでしょう。

おもしろいもので、きれいにしようとする意識があって、そして、それを実行していると、たまに今よりきれいになる方法が見つかったりするわね。これって、けっこうな前進だと思う。なぜなら、きれいの基準がひとつ上がったわけだからね。

シンゴ・クリハラ

ジャコメッリ展に行って来た

ジャコメッリ展に東京都現代写真美術館へ行ってきた。相変わらずのクオリティの高さで久々に魂が磨かれた気がした。

ジャコメッリの言葉には以下のようなことがあった。

「私の人生に良かったことをあげるなら、貧しかったことと、私が受けたすでの苦悩である」と。

ジャコメッリに言われては、たまらないね。

シンゴ・クリハラ

 

友達の結婚式

今日は友達の結婚式。神前式だった。よかったねぇ。最近は神前式がブームだとかで。なんか分かる気もする。教会とかで似非神父に外人っぽい日本語で「あなたは~誓いますか~」とか言われても、嫌になっちゃう。日本人には、やっぱり神前式とかの方がシックリくるんじゃないかね。

神前式は誓いの言葉を旦那が読み上げるん。これもいいね。似非外国人に「~時も、~時も、あなたは~」と質問されて答えるより、自ら読み上げる方が気持ちいい。自分が誓いの文章すべてを読み上げる、しかも紋付で宣言するから、カッコイイんだよ。

紋付って、本当にかっこいいよな。アレは私服で着たいくらいだよ。紋付きてりゃ日本の男どもは、もっと気合いと覚悟を備えることができるんじゃないかな。紋付きをスーツ代わりにしりゃいいんじゃないか。そうすりゃ会社も元気になるんじゃないか。

あと、披露宴の最後に行う娘から両親への手紙。あれは鉄板の感動場面。俺は、あれがあまり好きではない。というのも、俺には2人姉ちゃんがいるが、あんなに「今まで育ててくれてありがとう!!」いうても、結局、そんな感謝の念は30日間くらいで消えているような姿を見てきてるからな。どうしても、はいお決まりパターンですな、って思ってしまう部分がある。

今回の結婚式は、それが無かったから、「へ~やるじゃん」とか思った。でも、二人が退場した後にエンディングムービーが用意されていて、そこで、娘から両親への手紙の内容がテロップで流れるん。俺は、あれはよかったなと思う。両親への手紙の新しい形だし、泣きながら何を言っているのか良く分からない状態よりも、活字だからしっかりと刻むことができるしね。演出としても、読み上げるよりも、俺は感動できたなぁ。

なんか結婚式の評論家みたいになってしまった。

 

シンゴ・クリハラ

春の天気

今朝はくもりで、しかも急に寒くなった。春ってのは中々難しい季節だね。暑かったり、寒かったり、意外に調度良い陽気ってのは少ない気がするな。人間の心の天気も春と同じ。調度良い陽気みたいなシックリ感を自分の中に見出すのって難しいね。

シックリ感ってなんだろうね。ひとつは、エゴと自然の違いを見分けられることにあるような気がするな。エゴって、ある意味、人間として当たり前のことでしょ。誰しも自己中心的な所はあるわけで、そこは度外視できないし、そういう本能みたいなものが根付いているわけで。一方で自然ってのは、エゴのようでエゴではない。なんというか、これは結果論でしか言いようもないのだけど、「エゴ」は失敗に終わるのだけど「自然」は上手くいく。ここを見分けるポイントって、とても難しいよね。

結局、エゴも自然も自分にとって利益があることだ!!と自分には写るものなんだけど、他人から見た時に、「それはお前らしくない」とか「お前の領域じゃないでしょ」って言われているところは結局「エゴ」になる。逆に「それはお前らしいね」「確かに、そこはお前の得意なところだもんな」って言われているところは「自然」になるんだよな。

他人の話って、自分の心の天気予報みたいなものなのかもね。でも、天気予報も外れるからね。最終的には自分の判断でしかないし。それでも、天気予報を大事にする。他人の表情や言葉を聞いて、傘を持たなきゃいけないとき、上着を持たなくてはいけないときを判断する。そういう感覚を研ぎ澄ましていけば、エゴと自然が見分けられるような気がするな。

シンゴ・クリハラ

掃除とホームページ等

朝起きて、快晴なので少し気分がよい。7時前に家を出て、仕事場の掃除をしに。買ったばかりの高圧洗浄機(ケルヒャーじゃなくてryobi)で、1時間くらいグォングォン響かせながらキレイにする。自分が想定しているほどキレイにならなかった。でも、きれいにはなった。そうじの世界って奥が深いね。計画性が求められるし、こんな汚れにはどんな道具が最適なのか、終わりないからどこがそうじの勘どころなのか、とか色々と考えることがある。単純な世界だけど、ここをしっかりしているかどうかで、人々に与える印象って全然変わる。古いとか新しいとかじゃない。掃除の精神が行き届いているかいないか、ということが大事なんだなぁと思う。

ホームページをつくっていて思うことは、フォントや写真、レイアウト(グリッド)、イラスト、情報設計などの細かな積み重ねが、ホームページの安心感を生み出す。何かひとつでもかけていたら、すぐに安心感はなくなる。歪みというか素人っぽさ、雑さ、みたいなものがかわいさになることもあるけど、そのかわいさに甘えているといつまでたっても、独り立ちできないのでしょうな。

久々に7時前に家を出て外を歩いていると、車も人も少なく、かつ、天気もよろしかったから非常に気分が爽快になった。早起きは得意じゃない。敢えて、早起きを強制しようとも思わない。それによって自分は何度も失敗をしているから。小学校から高校まで7時30分起きくらいだったから、この時間が俺のスタンダードなんです。でも、次の日に朝早起きする楽しみがあれば、6時起きでもいいね。そのためには、毎日、次の日の楽しみを今日中に用意しないといけないね。

 

シンゴ・クリハラ

猫と犬とその他もろもろ

朝起きるたびに左肩周辺に猫の爪の後が増える。今日は快晴だったので少し気分が良く。それでも飛び上がるように起きるってことはない。

猫はなんでああも人の近くで寝ようとするのかね。そして、なんでああもゴロゴロいって、人の顔舐めようとするのかね。目を合わせると目を細めるわね。必ず左肩に来るんだ。なんでだろうって一時期考えたけど、心臓に近いから?なんて考えたりしたり。絶対に俺のところに来る。昔から。俺は猫が好きなのよ。猫ってのは、権力構造に媚びないから好きなんだよ。

犬は自ら権力構造を作るでしょ。自分より上か下かって、外形的な権力で決めるんだよ。そして自分より下だと思っていた奴に対しては、いやらしくあたって、上のやつにはしっぽふってね。少しでも自分が上にたてると思うとすぐに権力構造を固めようとするでしょ、噛んで。まぁ、そういう生き物だと思うし、そういう犬だからこそ役立つこともあるってことで、例えば、番犬とか。でも、最近の犬は番犬も何もない。ただ家にいるだけでね。単なるペット、奴らには仕事がないんだよ。だから、本当に、単に権力構造の中で、自分の居場所を見つけようとしているだけでね、媚びることが彼らの仕事みたいになってしまって、なんだか哀れだね。だから犬は嫌いになった。

猫はいいねぇ。自分の好き嫌いが唯一の基準。上か下か。それは彼の中にしかない基準で。

朝ごはんは、餅にとろけるチーズをのせて海苔をまいて食べる。あと、トマトスープ。なんだかよく分からない食事。オレンジがあったから食べた。皮剥いて果実が出てきました。果実の周りにゃ薄皮が張り付いてますな。この薄皮を剥きますか?俺は、そんまま食べる。それでも上手いオレンジは、本当に美味しいオレンジだね。

じいちゃんがキンドルで「チェ・ゲバラ伝」を買ってた。ちょっと笑った。

 

シンゴ・クリハラ

 

右脳と左脳

朝起きる。飛び上がるように起きるってことはない。7時50分くらい。外の天気が良ければ少しだけ気分が良くなる。人間内部の強さが肝心だ。朝起きてすぐに元気である必要がある。俺はといえば、どうもそうなれない。朝からテンションが高いなんてできない。それでも、キミに会いたくなることはある。ワクワクすることはある。脳の中の検閲官が黙っていらっしゃるのかしら。どうだか知らないが俺の右脳ばかりが働いてるときがあって、太陽が色ではなく啓示となったり、ねこは賢者になったり。

何をするにせよ、覚悟が大事だ。覚悟というのは、色々と思うのだけど、それは左脳の問題である。検閲官を味方にするってもんだ。検閲官を味方にする?それは、こういうことだ。決して、検閲官の意見を否定的に捉えないってことだ。全ては手段であるとね。目的は右脳にある。

シンゴ・クリハラ