blog

エネルギーの使い道

苦痛を伴ってこそ、その行いが楽しくなる。苦痛がなければ、行いは楽しくならない。表現は楽しいのだから、その裏に必然的に苦痛が伴う。苦痛を取りに行くにはエネルギーがいる。だから、表現するにはエネルギーは必要になるのだろう。この苦痛を取りに行こうとするエネルギーはどこから来るのだろうか?

エネルギーがエネルギーを生み出すことはありやしないだろうか。例えば、ここで僕は文章を書く。そこで少なからずのエネルギーが消費されている。しかし、このエネルギーは消費されると同時に、増加しているような気もするのだ。

エネルギーのある人は、その方向がどうであれ表現をする。それはエッセーかもしれないし、ビジネスかもしれないし、恋愛かもしれない。上の理論によれば、たくさんエネルギーを消費する人は、ますますエネルギーを増加させることになる。

方向を間違えないようにすることが大事である。そして、エネルギーは使わなければならない。

Category ESSAY

子ども中心と管理主義の弊害

巷では、子どもの内なるパワーを引き出そうとするために、自立学習を奨励する論者がいるが、実際のところ、それはとても難しい。正確にいえば、子ども中心主義をイデオロギーにまでしたてあげて、子どもたちに対して、いかなる目的もカリキュラムも提供しようとしない、ある種の放任主義ではアカンということだ。それでは子どもは成長しない。子どもは必要以上に理想的になったり、必要以上に堕落したりするもので、そのバランスに欠くことがあるので、理想主義と堕落主義を均衡させるのが教師の仕事であるように思う。

厄介なのは、子ども中心主義というイデオロギーそのものが、思想形態として非常に強いということだ。なぜなら、「子どもの可能性を見出す」「大人のエゴを子どもに押し付けない」などという正論に対する人気があること、芸術家など一部の天才の特異な教育事例を引っ張り出すことで、子ども中心イデオロギーの正しさをより強化できるからだ。

しかし、そのイデオロギーを語る、当の本人は真の子ども中心主義で教育に向かいあったことなどないだろうし、あるいは、最悪の場合には先生稼業を楽するために活用しているときさえある。

子どもには、カリキュラムが必要だし、何より教師との相互作用、子供どうしの相互作用が必要である。

こんな話をすると、子ども中心主義に疑問を抱いていた立場の人は「それ、みたことか!」と思い、「やはり子供は徹底的に管理しないと!」と思うのである。実は、これも同じなのだ。この管理主義的イデオロギーは、先の”子ども中心”と比較すれば、その展開力は弱まるのだが、どこか保守本流的な立場であると自認する部分があり、いつでもどこでも、その勢力はニョキニョキとしぶとく盛り上がる。

しかし、このイデオロギーの果ても、システマチックで徹底した管理主義であり、これもこれでアカンのである。理想も持てず、堕落もできないのも問題なのである。

人間の弱さというものは、常に思考を2項対立で捉えようとすることだ。どちらか一方に答えはない。子ども中心と管理の中庸にこそ、子供の成長に貢献できそうなところがあるのだろう。

子供の年齢、性格、環境など様々な変数が絡み合う中で、オーダーメードで決まってくるものなのだから、2項対立ではいかん。

Category ESSAY

詩作86

No.110「成熟」

本当にすごいことはなるべく簡単に表現せよ。たいしたことではないものには沈黙を。多様な世の中を認めよ。世界に真実を求めようとするな。多様な世の中を前提として、自分を主張せよ。

 

Category SONG

志について

「志ではなく知識こそが力になるという主義に基づいて行動してしまっている。しかし知識は道具にすぎない。最も重要なのは志だ。」

by サーバントであれ _ 奉仕して導く、リーダーの生き方 (Japanese Edition) by ロバート・K・グリーンリーフ

 

リーダーとしての志の大切さ。その志が本当の志なら行為になっている。だから言葉として語ることはなくても、その志はチームに共有されている。

Category ESSAY

詩作85

No.109 「終わる」

病気になったら終わり

死んだら終わり

どんなに才能があっても

Category SONG

起業家について

起業というものは、自信過剰な面々が行うことが多い。過信しているからこそ、困難な旅に出ようと思える。しかし、多くの場合、その困難な旅程で多くの起業家が萎える。そして、自身を喪失する。

それでも進み続けるものだけが、本当の起業家になる。困難な経験を乗り越える過程で、実力がつき、身の丈が本当に大きくなり、真の起業家になるのである。

長く続けているやつは、大体上手くいっているよ、という言葉をよく聞くのは、そういうことなのかもしれない。もちろん、長く続けることが目的ではない。自分を変革し続け成長するのだ。

Category ESSAY

詩作84

No.108「からっぽ」

自分でも気付いていない、ちょっとしたことがきっかけで

あくる日の行動が変わってきてしまう

自分の意識に登らない、その無意識に感知した現実が

あくる日の新しい自分を出現させる

自分はからっぽである

 

Category SONG

心と魂

じいちゃんとサクラの死が教えてくれたように思う事がある。

それは、心・魂の所在の大切さだ。

心・魂があれば、死んでも人の心に残り続ける。

仕事に心と魂をぶつけなければ何も意味がない。

そういうことを教えられたような気がする。

Category 未分類

農村的知性を

都会的な知性と農村的な知性があるように思う。

都会的な知性というのは、システム思考であり、論理的思考であり、市場競争的な思想背景をもつもの。

農村的な知性に見合う言葉は中々見つからない。ただ、なんとなく一番近そうだなぁと思うのは、ハーバマスの公共圏の概念を導いた時に大切される知性のことく、また、宇沢弘文の社会的共通資本を活かす際に前提となる知性に近いものだ。システムや論理、市場競争では語り切れない、その外側にある知性のことだ。古臭いと思われていたりするものだけど、人間社会が気持ちよく発展していくために欠かせない要素のように思う。

どちらが良い悪いということではない。でも、これからは両者の融合が必須条件であると思う。都会的知性に寄り過ぎていた知性を、少し農村的知性の側に寄り戻すのだ。

過去への回帰ではない。進歩するための現実的な話である。

 

 

Category ESSAY

登記完了

1月15日登記申請を行い、正式に受理された。設立日は2015年1月15日である。

たまたまだったが1月15日は大安だった。少し嬉しかった。

会社をつくることは本当に簡単だ。誰だって、ほんの少しネットで調べて作業を行い、役所関係施設とやり取りすれば、ほんの1週間くらいでできる。

それでも、自分がわざわざ会社を立てることになるとは思いもしなかった。

結局、すべては人との出会いだろうと思う。俺の場合、自分がこんな人生を歩むことになるきっかけを作ったのは新卒の会社で出会った一人の男の存在だ。

さて、これからも俺は色んな人に出会うことだろうと思う。そして、また自分でも予想だにしなかった方向へと舵をきってしまうのかもしれない。そんな人生を楽しみにしつつ、これからのはじまる新しい旅を楽しみたいと思う。

 

Category ESSAY