陶芸してきました

昨日は友人達と山梨県で陶芸をしてきました。ロクロ成型の陶芸です。

 

陶芸に向かい合っている時間は、こんなにも幸福感を得られる時間があってもいいものか、というぐらいに最高な時間でした。

 

友人4人と陶芸をしていたのですが、4人が4人揃って「また、やりたい」「最高だった」と言っており、4人の内の1人の大学生は「学生をやめて、陶芸家になりたい」とまで言っておりました。

 

社会人の友人も「17時くらいまでで仕事を終わりにして、その後、陶芸やって暮らせればマジで最高だなぁ」と話していました。ちなみに、そう話している社会人3人は、日本を代表するような企業に勤めており、そして、その会社で幹部に登っていくだろうマインドを保有している奴らです。

 

こういった大学生や社会人の発言は、人間の中にある「モノを自分の手で作る」という普遍的欲求を満たしてくれる陶芸、それとは対処的に、自分の中にある情熱や普遍的欲求を満たしてくれない企業人としての仕事や学生生活、こんなコントラストが生み出したものだと思います。

 

これは構造的な問題でもあり、本来1つであったものが専門分化してしまい、全体を掴むことができていない悲劇によるところだろうと思います。例えば、メーカーであれば、その本質的存在価値は、プロダクトは創りだす、まさにそのプロセスにあるはずですが、そのプロセスを担当するエンジニアリング及び研究開発部門さえも専門分化されているし、まして営業部門や管理部門であるならば、蚊帳の外の事象として捉えられてしまうことでしょう。(一方で陶芸等の伝統工芸と言われているものは、簡単に創造プロセスに関与できるわけですから、それは楽しいはずです。)

 

こういった専門分化によって、価値そのものの総体及び創造プロセスを発見しにくくなっている分業体制においても、社員が本質を見失わないためには、強力な理念・ビジョンが必要であるわけですが、社員はそれを信じることができなくなっている。何故信じられないかといえば、それは、社員全員が信じていないからです。「あれは建前だよ」とみんなが思っている悲劇です。

 

学生生活ならば、本来、自分の価値、生きる意味、自分の使命を探し出す重要な期間であるはずですが、自分の価値は「学歴」や「就職先」や「留学経験」等で決まると勘違いしているし、大の大人も同様な信念を押しつけてくる。もちろん、学歴も就職先、留学経験も重要であるけれど、それは、全て自分の生きる意味に紐づく一手段に他ならないことを信じることができない。だから、自分自身を構築するプロセスの真の喜びや苦しみさえ見出せない。

 

そんなことを陶芸を通じて、より先鋭に感じることができました。そして、何より陶芸は学生や社会人が「自分はこのままで良いのか」と考えるキッカケを与えられる力をも保有しているものだと感じました。

 

最後に山梨で食べたほうとう、風景、焼き前の自分の作品をお見せします!!

 

 

 

シンゴ・クリハラ

Category CERAMIC ART