改めて整理してみよう

教育の現場では、色々な嘘がある。

あまりにも分からないことがある。人の成長プロセスには様々な変数があり過ぎて、ある一つのものに、その原因を求めることはできない。

あれは家庭に問題がある。ありゃ、母親の教育に問題がある。とかって言うけど、それだけを一概に責められることはできない。どういう人間に育っていくかということは、当の母親の意図を越えた部分もあるように思われるし、ある年代を越えたのちは自律的に、その成長プロセスをたどっていくだろうと思う。

自分自身の経験として、もっとも信用できるものは、自分の情熱と相手の情熱が交わったときに起こる爆発的な成長過程である。お互いの信頼関係が一気に増し、こちらの期待以上のアクションを、相手の純粋なモチベーションで完遂してくる。このことがさらなる信頼関係を醸成していく。

では、なぜゆえに、自分はその子と信頼関係を築くことができたのかといえば、それは、その子との相性とタイミングによるだろうと思う。相性は言うまでもなく、偶然の要素である。一方、タイミングとは、子どもがたたされた試練のタイミングに付き添っているかどうかということである。

やはり、中3や高3のときに、深くかかわった生徒達とは、信頼関係を築きやすい。彼らにとって、試練に直面した時に、どれだけ寄り添い、そして励ましつづけられるか。本人も何とかしなければならないと思っている状況であり、そういうときに、頼れる存在になることは彼らの精神的支柱にもなることと同義である。精神的支柱になるとは、その子にとっての生涯の恩師になることである。

こういった経験は本質的である。と多くの教育者は思うようになる。もっとも大事なことは、何かコンテンツを教えるということではなく、試練の時に、相手が倒れそうなときに、倒れないように励まし続けることであると。だから、テクノロジーというものが、教育の本質的課題を解決するのか、と言われれば煙たがってしまう。

もっと大きな視野で教育問題を眺めてみると、事態は変わってくるかもしれない。

多くの子どもたちが試練に立たされた時に精神的支柱となるような大人に出会えていない。これをテクノロジーの力で解決することはできないのか。それは、直接的・間接的支援どちらでもよい。

そして、個別具体的な支援を達成することによってしか精神的支柱になどなれるはずもなく。よって、人的コストは非常にかかってしまうので、多くの場合、ビジネスモデルとして破綻してしまうのであるが。

今ある教育機関の繋がり方に何らかのスパイスを加えてみる必要もあるかもしれない。

いずれにせよ、子ども達の精神的支柱となりえる存在をテクノロジーの力で見出すことが直近の課題であろうと思う。

 

Category ESSAY