SONYは日本の誇りである。そして、日本の文化そのものである。
そんな風に感じている人は自分だけでないはずである。もちろん、経常利益や純利益等で企業を判断する人々からすれば、SONYは今や時代に取り残されてしまった企業と映るのだろう。
外から色々と批判されることは、もしかすると、批判される側にとっては光栄なことなのかもしれないのである。SONYへのステレオタイプな批判は、「SONYの技術者達は創造性を失った」と。そんなはずはないのである。組織論としての観点から見れば、もしかすると、SONYの技術者達は創造的に振る舞いずらくなったのかもしれないが、それはシステムの話であって、彼らの創造性が喪失されるはずもなく、むしろ世間からの批判によって、彼らの創造性はより増すのかもしれないのである。
こんな前段を話すのにも訳がある。というのも、多分、2年後~3年後には、世界的に爆発的に普及させるだろう商品をSONYは携えているからである。
日本の、ある意味、日本らしい商品というのは、ある種、狂気に満ちている。夢物語でしか無かった未来を体現して見せるからである。世界という文脈で、このマニアックな商品を移植させるのは難しい。あまりにも深すぎて、その必要性、その価値を伝えることは難しいのである。
今回、紹介するSONYの商品は、ロジャースの成長理論で言えば、明らかにオピニオンリーダーを取り込んだ。次はアーリーアダプターであり、ここへのアプローチにキャズムが存在する。ここのキャズムを乗り越えるために、きっとSONYは慎重になっているのだろう。それは、世界という文脈を視野に入れた際の細かな製品のチューニングであると思うし、そして、マーケティング活動の準備であり、生産準備、社内調整であると思う。
今現在、この商品を手に入れるには、定価の1.8倍くらいのお金を払って、横流し業者からしか購入できない。
私の知り合いの家電マニアは、この商品を販売開始と同時に購入し、その商品の衝撃具合を私に興奮しながら伝えてきた。
どうやら、それは、完全に映画館を越えてしまうようである。
ウォークマンが誕生する以前、音楽は固定された決められた場所でしか聞けないものであったが、それはウォークマンによって覆された。
今度は、映画館を持ち運び可能にしたわけだ。しかも、その体験は映画館を越えると。
想像は果てしなく続けられる商品であると思う。
ちゃんと、SONYが準備を終了させ、定価で買えるようになり、この商品が、世界に爆発的に普及することを願っている。
シンゴ・クリハラ