子ども中心と管理主義の弊害

巷では、子どもの内なるパワーを引き出そうとするために、自立学習を奨励する論者がいるが、実際のところ、それはとても難しい。正確にいえば、子ども中心主義をイデオロギーにまでしたてあげて、子どもたちに対して、いかなる目的もカリキュラムも提供しようとしない、ある種の放任主義ではアカンということだ。それでは子どもは成長しない。子どもは必要以上に理想的になったり、必要以上に堕落したりするもので、そのバランスに欠くことがあるので、理想主義と堕落主義を均衡させるのが教師の仕事であるように思う。

厄介なのは、子ども中心主義というイデオロギーそのものが、思想形態として非常に強いということだ。なぜなら、「子どもの可能性を見出す」「大人のエゴを子どもに押し付けない」などという正論に対する人気があること、芸術家など一部の天才の特異な教育事例を引っ張り出すことで、子ども中心イデオロギーの正しさをより強化できるからだ。

しかし、そのイデオロギーを語る、当の本人は真の子ども中心主義で教育に向かいあったことなどないだろうし、あるいは、最悪の場合には先生稼業を楽するために活用しているときさえある。

子どもには、カリキュラムが必要だし、何より教師との相互作用、子供どうしの相互作用が必要である。

こんな話をすると、子ども中心主義に疑問を抱いていた立場の人は「それ、みたことか!」と思い、「やはり子供は徹底的に管理しないと!」と思うのである。実は、これも同じなのだ。この管理主義的イデオロギーは、先の”子ども中心”と比較すれば、その展開力は弱まるのだが、どこか保守本流的な立場であると自認する部分があり、いつでもどこでも、その勢力はニョキニョキとしぶとく盛り上がる。

しかし、このイデオロギーの果ても、システマチックで徹底した管理主義であり、これもこれでアカンのである。理想も持てず、堕落もできないのも問題なのである。

人間の弱さというものは、常に思考を2項対立で捉えようとすることだ。どちらか一方に答えはない。子ども中心と管理の中庸にこそ、子供の成長に貢献できそうなところがあるのだろう。

子供の年齢、性格、環境など様々な変数が絡み合う中で、オーダーメードで決まってくるものなのだから、2項対立ではいかん。

Category ESSAY